今回、unity1weekのテーマ「うら」向けにゲームを制作しましたが、あまりに悲惨な結末になってしまったので、今後このようなことが起きないように、反省として経緯をまとめます。
制作したゲーム

「コイントスの裏側」というノベルゲームを作成しました(現在非公開になっています)。
開幕で二人の男がコイントスをしており、そのコイントスに至った「裏側」を過去回想から明らかにする、といったゲームです。
過去回想では主人公が「どんな生い立ちだったのか」、重要な決断の際に「どんな選択をしたのか」を選択肢としてプレイヤーが選ぶことで、コイントスに至った理由や結末が変化する、といった内容です。
ただこれがひじょーーーに、よろしくない出来であり、大不評を食らう羽目になったのでした。
ゲームの良くなかった点
良くなかった点1.長すぎるプレイ時間
unity1weekでは、300本~500本程度の、非常に多くのゲームが公開されます。
そのため、色んなゲームをプレイするためには比較的サックリ遊べるゲームが好まれており、大体のゲームが3~5分程度で楽しめるものになっています。
比較的プレイ時間が長いものでも、豊富なステージ数や周回プレイが遊べたり、高難度ステージに挑めるなど、短時間で楽しんだうえで、「面白かったらもっとやっていいよ!」といったものが歓迎されます。
一方、本作は1ルートでエンディングを迎えるだけでも15分、全クリには1時間半ほどかかるという代物でした。

同じノベルゲームでも、適度なアクションシーンが挟まって飽きさせない工夫があったり、圧倒的な世界観や魅力的なキャラクターでプレイヤーを引き込んで離さないとかなら評価されるゲームになると思います。
しかし、本作はそのような工夫点も、魅力も、何一つないゲームであり、まごうことなきクソゲーでした。
同じクソゲーでも、5分くらいで終わるものなら笑って済ませられますが、1時間も奪われるクソゲーは、クソを超えたクソ、クソオブクソです。
良くなかった点2.生成AIゴリ押しのイラスト
今回、1週間という非常に短いで企画からストーリー構成までやらなければいけなかったため、絵師さんに依頼して絵を描いてもう、といった時間的余裕はありませんでした。
また、私自身絵心が壊滅的で自分で描くという選択肢も取れません。
そのため、「まぁ開催期間が短いという理由があるからいいかな」と、イラストを生成AIで作成して差し込むことにしました。
これが、致命的に評判を悪くする結果になりました。

これは私自身も感じるところですが、やはり制作者自身が描いてたり、絵師さんと組んでだりしてビジュアルを自作しているゲームのほうが愛が伝わります。
「あ、これ生成AI使ってんな」と思われた瞬間に、評価は地に落ちます。
一部だけ、例えば背景画像だけに使ったり、モンスター画像の水増しにつかう、などスポット利用ならそこまで悪評はつかないかもしれませんが、ノベルゲーの挿絵丸ごとAIに任せてしまうのは非常によろしくありませんでした。
「製作期間が短いから」「フリーゲームだから」といった理由で、安易に生成AI画像を利用するのは、非常に危険ということが分かりました。
良くなかった点3.シンプルにクソ面白くなかった
はい、何をどういっても一番はこれだと思います。
上記のような問題点があったとしても、ゲームがクソ面白ければ問題にはならなかったと思います。
私の力不足、それが一番の原因ですね。
反省を踏まえて次に生かしたいこと
1.ちゃんと市場調査をしよう
unity1weekのゲームの特徴や、ウケているゲームの共通点の分析などをまず初めにすべきでした。
それさえしていれば、少なくともプレイ時間1時間みたいなことにはならなかったかと思います。
uinty1weekのゲームを遊ぶ配信をしてくださっている方なども多くいらっしゃったので、そういった方々の反応などを参考に、企画を進めるべきだったかなと思います。
顧客が欲しがっているものを全く理解せず、自分が作りたいものをごり押しする。そりゃ評価されるわけがありません(フリーゲームなので、市場に迎合せず作りたいものを作ったほうが良いという意見もありますが)。
2.遊び手の気持ちを考えよう
今回こんなことになった原因の一つに、制作者である私のエゴがあったかなとも思っています。
「面白いゲームを作りたい」という感情から、いつしか「1週間でこれを作れるなんてすごい」と褒められたい、というエゴに変わっていた気がします。
その結果が、多すぎるエンディングと、「おれのかんがえたさいきょうのものがたり」をごり押す自慰行為のようなストーリー展開です。
やはり、一番大事なのは、プレイヤーにどう楽しんでもらうのか、プレイヤーが欲しがっているものは何なのか、を見失わずに考え続けることだと思います。
3.生成AI利用は慎重に
少なくとも、メインビジュアル、サムネイル、挿絵など目立つところでの生成AI画像利用は、たとえフリーゲームだろうが制作1週間だろうがやめたほうが良いです。とにかく印象が悪い。
使うとしても、使っていることが目立ちにくい部分や、どうしても数が必要な部分など、限定された領域に絞ったほうが良いですね。理想は全く使わないこと。
せっかく苦労して作ったゲームが、生成AI利用で批判されるようになったらもったいないです。
制作の裏話
なんでそんなクソゲーになっちゃったの?って思われる方もいるかと思うので、制作に至った背景も記録として残しておきます。
最初の構想
始めは、メインで開発しているゲーム向けに買ったアセットとかをうまく利用して、ミニローグライクみたいなものを作ろうとしていました。
昼は街で取引して金策したり装備を整えたりして、時間経過で世界が裏返り、敵がうじゃうじゃ出てくるので退治して、Waveを突破するとアップグレード3種のうち1つ選んで強くなってまた昼に戻る、みたいなやつ。


今思うと、こっちのほうがよっぽどウケよさそうでしたね……
しかし何を考えたか「これってフックがなくね?」と考え、構想を白紙にしてしまうのでした。
(実際にはunity1weekでは片っ端から遊んでくれる方が多いので、おそらくフックはそこまで重要ではなく、実際に遊んで面白い、っていうのが一番重要に感じました)
そこで考え至ったのが、「最初に人生を賭けたコイントスに挑むシーンを流して、その背景を深掘っていくゲーム」でした。
間違いすぎた配分
おそらく、設定とか自体は、作りこみ次第ではウケるものが作れたかも、と感じています。
最初のコイントスのシーンが、魅力的な手書きのキャラが豊富なアニメーションで感情豊かに語りだし、多彩なエフェクトやら効果音を鳴らしながら引き込んでいく導入が作れれば、評価は変わったかもしれません。
しかしあろうことに、今作では生成AIで作った1枚絵が微動だにせずにセリフだけが延々と流れていくクソ仕様でした。
初っ端プレイヤーの出鼻をくじいたことでしょう。
今回本当に力を入れる点をミスっていて、ノベルのテキストを入力することに全力を注いでしまい、演出とかは全くの手抜き状態でした。
おそらく目指すべきは、テキスト量は少ないものの演出や世界感が凝っていて、短い時間ながら楽しめる作品だったかと思います。
マジで不要なマルチエンド
いろんな人生に分岐して、いろんな人生を見せよう!と思ったことも大きな間違いでした。
ルートを増やせば増やすほど開発工数は増大し、1週間という開発期間が決められている以上、1ルートごとの密度はどんどんと薄くなっていきます。
極限まで希釈された、無駄に薄いマルチエンド。こんなのを見たい人はいません。
徹底的に作りこんだ、自信のある一本道のほうが、よっぽどウケは良かったでしょう。
遠すぎるTrueエンド
今回の唯一のこだわりポイントとして、全てのエンディングで共通点を作り、その共通点が最後のTrueエンドで回収されて、「そうか、そうだったのか!」と伏線回収する、というものがありました。
これで致命的だったのが、Trueエンドの突入条件が「他の11ルートすべてのエンディングを回収すること」であり、クソ面白くない11ルートを制覇した人のみが真相にたどり着く、という鬼畜仕様でした。
公開後ちょっとして到達エンディング数のランキングボードを設置して観察しましたが、当然12エンディング回収しきる猛者はほとんどいない状況でした。
そのため、一番キモになる伏線回収すらままならないまま、「クソ面白くない」として離脱する人が続出してしまったため、唯一のこだわりポイントすら全く生きない形になってしまったのです。
さいごに
unity1weekは、開発期間が非常に短いこともあり、最初の企画段階がとても重要だと感じました。
その段階で、プレイヤーは何を求めていて、それに向けてどこに時間を使うべきなのか、といったことをしっかりと計画すべきでした。
途中でずっこけた場合、1週間だと挽回するのは非常に難しいです。
今後unity1weekに参加される方は、是非そのあたりの企画を大事にしてもらえればと思います。
「自分が作りたいものを作る!」という意気込みは大事ですが、力を入れるポイントと、評価されるポイントがずれてしまうと、残念なことになりがちです。
私も、今回の学びはしっかりと胸に刻み込んで、今後のゲーム制作に生かしたいと思います。
結果としては爆死でしたが、1週間という短い期間でこれだけの学びを得られたことは非常に有意義であり、参加してよかったなとは思っています。
どれだけクソか確認したい人向け
これ以上の被害者を出さないためにゲームは非公開にしましたが、どれだけクソか反面教師として確認したい人向けに限定公開で残しておきます。
本当は闇に葬り去りたいくらいだったのですが、自身への戒めとして。

